【コメントへのアンサー】いじめと格闘技について

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日頃より当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

先日、以前作成した記事『いじめられっ子が格闘技を習えばいじめられなくなるのか』に、以下のようなコメントをいただきました。

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(原文ママ)
そもそも子供間でいじめが始まった時点でいじめられてる側が意識を変えても何も解決になりません
当人たちだけで解決できなくなるとこまでいって初めていじめなんだから

意識どうのこうので解決できるのは嫌がらせされてるときだけ一線越えたらもう第三者が介入するかいじめられてる側が折れるか武力行使する以外にない

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僕は現在の子ども間のいじめの実態に精通している専門家ではありません。

また、何か偉そうなことを言ったり指摘できるほど、できた人間でもありません。

だからこのコメントを見た後、コメントを返すべきか、返すとしたら何を言えばいいのか迷っていました。

しかし、せっかくいただいたコメントなので、この記事をもってお返事とさせていただければと思います。

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そもそも子供間でいじめが始まった時点でいじめられてる側が意識を変えても何も解決になりません

いじめというのは、子どもも大人も関係なく、1度始まると止めることはかなり難しいです。

いじめる側はどんどんヒートアップしていきますし、いじめられる側は心身のダメージが蓄積していきます。

「いじめられてる側の意識を変えたところで何も解決にはならない」という意見は、僕も同意できるところです。

しかしそれでも僕は、『意識を変えることは決して無駄ではない』とも考えています。

格闘技で鍛えられて自分に自信が持てるようになるということは、自己肯定感も上がるということです。

いじめられていると、「自分がダメだからいじめられるんだ」とマイナス思考になっていきますが、それを防ぐことができるかもしれません。

いじめに対しては、『絶対に負けない』という意志が最初の1歩になると思っています。

格闘技をきっかけに意識が変わった延長線上で、そういった気持ちを醸成できたら・・・そしてその可能性は、ゼロではないはずです。

当人たちだけで解決できなくなるとこまでいって初めていじめなんだから

この言葉の意味が何なのか、僕はいまいち汲み取ることができませんでした。

そのため、コメント主様への返事にはなっていないかもしれませんがご容赦ください。

まず、「当人たちだけでは解決できない」とあるのですが、当人同士での解決の可否は関係なく、いじめはいじめだと僕は思っています。

そもそもいじめの明確な定義はなく、線引きが難しいところです。

よく『されている側がいじめだと感じたならいじめ』と言いますが、第三者目線で見た時に「これは明らかにいじめだ」と判断するのも、実はなかなか難しいのではないでしょうか。

例えば『靴を隠す』というのはいじめと捉えることも単なるいたずらと捉えることもできそうですし、『LINEのグループから外す』のはいじめと捉えることも単に嫌いだからという理由の交友関係上の問題と捉えることもできそうです。

もちろんどちらにせよして良いことではありませんが、客観的にいじめを証明することは簡単ではありません。

『動かぬ決定的な物理的証拠』があれば別ですが、それをいじめる側がむざむざ残しておくとは思えませんし、それがない以上いじめの有無を明確にすることは骨が折れそうです。

意識どうのこうので解決できるのは嫌がらせされてるときだけ一線越えたらもう第三者が介入するかいじめられてる側が折れるか武力行使する以外にない

コメント主様にどのような背景があるのかは分かりませんが、僕自身過去にいじめられた経験を踏まえ申し上げますと、正直これはかなり極端な意見を含んでいるなと感じました。

嫌がらせであろうといじめであろうと、されている側の意識がマイナスに向いたままだったら、おそらく最悪の結末を迎えます。

ここで言われている『一線』が何を指しているのかは定かではありませんが、仮に生死に関わるレベルのものであればそれはもちろん第三者が速やかに介入すべき事態でしょう。

ただ、問題はそのような事態になっていることを第三者がどのように把握するかです。

僕がそうだったのですが、いじめられている側からしても、家族を含めた誰かに「自分がいじめられている」と相談するのはかなり勇気と覚悟がいることです。

いじめについて相談するには、自分の惨めさや情けなさ、弱さを認め向き合うことが必要です。

しかし、これを認め向き合うのはとても苦痛を伴います。

『いじめられている被害者がそんな感情を抱くのがおかしい』と思うかもしれませんが、これは理屈ではなく感情で、いじめられている本人にはそういう感情があるのです。
※全員がそうではないと思いますが。

いじめというのは周囲が思っている以上に巧妙に行われているので、これを外部が気付くにはかなり難しいはずです。

事実、僕へのいじめは結局担任も僕の家族も気付くことはありませんでした。

かといって、いじめられている側が折れるのも武力行使するのも、現実的に考えて選択することはできません。

折れれば最悪の結末を迎える道にまっすぐ進むことになりますし、武力行使に走ればいじめられている側が圧倒的不利な状況に置かれるだけです。

であれば残された選択肢は、やはりいじめられている本人が自力で解決するか、周囲にSOSを求める他ないと僕は思っています。

ただどちらにせよ、まずは本人の意識の良い変化が必要であることに変わりはないはずです。

そしてその変化は、少なくとも何もせずできるものではありません。

いじめは無くならないけれど

人間関係が存在する以上、この世からいじめがなくなることは恐らくありません。

「いじめは良くない」・「いじめは犯罪」・「いじめをしている奴は恥を知れ」・「いじめ撲滅」などといくら綺麗事を並べても、現実に起きているいじめに対してそんなものは何の役にも立たないことを、僕はいじめを受けたことが無い人よりは理解しているつもりです。

しかし「だから諦めろ」と言いたいのではなく、そうした現実を受け止めた上で、何ができるかを考えて実行していくしかないと思っています。

SNSが普及して感情を昔よりずっと手軽に発信できるようになった今の時代では、いつ誰がいじめる側になるかいじめられる側になるか分かりません。

だからこそ、仮に自分がその当事者になったらどうするのか想像して、どうするのがベストかを意識する必要があります。

主旨からはだいぶズレてしまいましたが、格闘技がいじめという問題に少しでも役立つものであってほしいと、格闘技に携わる身としては願うばかりです。

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