仕事の給料は『我慢料』ではない。やりたいことでお金を得よう。

仕事の給料は『我慢料』ではない。やりたいことでお金を得よう。 お金・副業・キャリア
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「会社からの給料は我慢料」

こんなことを言う人、あなたの周囲にもいませんか?

言葉の真意は人によって様々ですが、大体共通しているのは以下の点です。

「仕事なんだから大変なことがあったり苦労するのは当たり前。それを我慢してこそ給料がもらえる。」

確かに仕事は大変なことがありますし、苦労することもあるでしょう。

しかし、それを踏まえてなお言いたいのは、給料は我慢料ではないということです。

本記事では、このことについて解説していきます。

給料を我慢料と捉えてはいけない理由

仕事の給料は『我慢料』ではない。やりたいことでお金を得よう。

改めて言いますが、給料とは我慢料ではありませんし、そのように捉えてはいけません。

そこには以下の3つの理由があります。

給料は労働の対価

そもそも給料は、我慢をしたからもらえるわけではありません。

会社員であれば、会社から与えられた役割をこなし、会社に何らかのプラスとなることをしたから。

フリーランスであれば、クライアントからの依頼を完遂させたから。

つまり相手方に対して、何らかの利益や成果をもたらしたから、その対価として支払われるわけです。

いくら大変な目に遭ったり苦労をしても、利益や成果になっていなければ意味がなく、報酬はもらえません。

正直なところ、会社員は何もしていなくても給料がもらえてしまいますが、お荷物社員として肩身の狭い思いをすることもあります。

少なくとも給料とは、労働への対価ということを覚えておきましょう。

我慢しても給料は増えない

今の世の中に、『我慢料』という明確なものはありません。

実際のところは、給料の中に含まれておらず、具体的な算定も出来ない状態です。

だからどれだけ我慢を重ねても、それで給料が増えることはありませんよね。

そしてどんな我慢をしたか、どれほど我慢をしたかも、誰にも認知されないのです。

そうであればより我慢が少なくて済む仕事を選んだ方が、負担が少なくラクでしょう。

心身がボロボロになる

我慢をするということは、ネガティブなことを耐えるということです。

それは理不尽であったり、納得のいかないものも全て含むことになるでしょう。

僕は以前、会社の先輩や上司からのパワハラまがいのことも、「これも仕事だ」と我慢していたことがありました。

その結果、メンタルの調子を崩し病院に通うこととなり、回復するまでに長い時間と手間がかかりました。

我慢すると心身には大きな負担がかかり、それが続くと僕のように調子を崩す可能性が高くなります。

『我慢が美徳』は損する思考

仕事の給料は『我慢料』ではない。やりたいことでお金を得よう。

日本では昔から、我慢をすることを美徳とする文化があります。

確かに忍耐力という意味では、これがあるから乗り越えられるものもあるでしょう。

しかし、我慢を良いものとすることで生み出される弊害は多く、大きな損をすることもあります。

具体的には以下のようなケースです。

会社のいいように搾取される

会社は自社の利益を出すことを目的としています。

社員は会社の利益を出すために働き、その対価が給料となります。

もし社員側が我慢を美徳として、どんなことにも耐えてくれるのであれば、会社としては嬉しい限りでしょう。

しかしそれが行き着く先は、会社による労働力の搾取です。

安い給料でこき使われることとなり、損をするばかりとなります。

会社はいかに社員をコストをかけずに使うか考えており、社員のために何かしようとはしていません。

こんな美徳を持っていると、会社の思う壺でしょう。

自分で自分を追い詰めてしまう

『我慢を美徳』とすることは、裏を返せば『我慢できないのは美徳ではない』ということになります。

それはつまり、我慢できない人を否定することに繋がります。

これを基準をとしてしまうと、どんな理不尽なことにも「これくらい我慢できないと…」と、自分で自分を追い詰めてしまいかねません。

特に真面目で優しい人ほど、他責ではなく自責思考になりやすいので、より危険です。

こうした歪んだ美徳観が、誰かを知らないうちに攻め立ててしまうのです。

やりたいことでお金を得るべき理由

仕事の給料は『我慢料』ではない。やりたいことでお金を得よう。

ここまでの話を踏まえた上で言いたいことは1つ。

仕事でお金を得るのであれば、やりたいことをやるべきということです。

そこには以下の3つの理由があります。

ラクな仕事はない

お金を稼ぐにあたってラクな仕事がないのは、誰もが理解していることです。

だからこそ、自分のやりたい仕事をして、お金を稼ぐべきです。

やりたいことをしているなら、もし大変なことがあっても頑張ろうと思えるでしょう。

やりたくもない仕事で同じ目に遭ったら、それこそつらく苦しくなってしまいます。

仕事への不満をだらだら言うつまらない人間にならないためにも、これは大切なことだと言えます。

我慢は何も生み出さない

既に解説した通り、どれだけ我慢を重ねても給料は増えません。

それだけでなく、我慢から生まれるものもありません。

1度しかない人生で、我慢をたくさんして窮屈な思いをし続けて、何になるのでしょうか。

やりたいことをしてお金を稼でいく方が、人生の幸福度は遥かに高く自分のためになります。

我慢が必要な場面もありますが、我慢をするべきところとすべきでないところは、間違えないよう気を付けなければなりません。

モチベーションが高まりパフォーマンスが出せる

当たり前ですが、やりたくないことより、やりたいことをする方がモチベーションは高まります。

たとえ仕事といえど、モチベーションを均一に保つことは容易ではありません。

その日の体調や気分など、様々な要素に影響を受けるのが普通です。

もしやりたくない仕事だと、それ自体がモチベーションを低下させる一因になってしまいます。

対してやりたい仕事であれば、モチベーションも上がりやすくなります。

モチベーションが高く保てると、良いパフォーマンスを出せることに繋がり、良い成果が生み出せるでしょう。

無責任な考え方の犠牲になるな

仕事の給料は『我慢料』ではない。やりたいことでお金を得よう。

本記事では、給料は我慢料ではないということ、またそう捉えることによる危険性を解説してきました。

これも1つの意見ですし、給料を我慢料と思うことで頑張れる人がいるなら、それで良いと思います。

ただ、我慢料ということで他人に強要するのは、あってはいけません。

もし給料を我慢料とする考え方を正しいとしてしまえば、それに苦しむ人が必ずいます。

そしてそれが原因で何かあっても、提唱した当の本人は何の責任も負わないで、ノウノウとしているだけです。

そんな無責任な考え方を押し付けるような人の犠牲にはならないようにしましょう。

少しでも人生を楽しく穏やかに過ごせるように、そこにこそ力を注ぐべきです。

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